神戸地方裁判所 昭和62年(ワ)1603号 判決 1990年2月23日
原告(反訴被告)
上野金也
ほか一名
被告(反訴原告)
高橋文隆
主文
一 別紙事故目録記載の交通事故に基づく原告ら(反訴被告ら)に対する損害賠償債務は存在しないことを確認する。
二 被告(反訴原告)の反訴請求を棄却する。
三 訴訟費用は、本訴反訴を通じ、被告(反訴原告)の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
(本訴について)
一 請求の趣旨
1 主文第一項と同旨
2 訴訟費用は被告(反訴原告)(以下「被告」という。)の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告ら(反訴被告ら)(以下「原告ら」という。)の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
(反訴について)
一 請求の趣旨
1 原告らは、被告に対し、各自金三二〇万四四四〇円及びこれに対する昭和六二年六月九日から右支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 仮執行宣言
第二当事者の主張
(本訴について)
一 請求原因
1 別紙事故目録の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。
2 原告上野金也(以下「原告金也」という。)は、加害者の運転者として民法七〇九条により、原告上野泰子(以下「原告泰子」という。)は、加害車の運行供用者として自賠法三条により、被告に損害があれば、連帯してその賠償すべき責任がある。
3 しかし、本件事故による衝撃は、極めて軽微であり、被害車の乗員の頭部及び腰部に過伸展、過屈曲を強いる程の大きな外力は働いていないから、被告が傷害を負うようなことはあり得ない。
4 ところが、被告は、本件事故により頚部捻挫、腰部捻挫の外傷を受けたと主張し、右傷害に伴う損害賠償金の支払いを求めている。
5 よつて、原告らは、本件事故に基づく原告らの被告に対する損害賠償債務が存在しないことの確認を求める。
二 請求原因に対する認否
請求原因1、2及び4の事実は認めるが、同3の事実は争う。
(反訴について)
一 請求原因
1 交通事故の発生
本訴請求原因1の事実と同一であるから、ここにこれを引用する。
2 原告らの責任原因
(一) 原告金也は、被告運転の被害車に追従して加害車を運転していたものであるが、一時停止の交通規制のある交差点を進行するにあたり、一時停止をして、たえず自車の前方を注視し、進路の安全を確認して進行すべき注意義務があるのにこれを怠り、漫然と加害車を進行させた過失により、おりから、一旦停止後さらに右方道路からの車両をやり過ごすために一時停止していた被害車の後部に加害車の前部を追突させたものであるから、被告の人身損害につき民法七〇九条による賠償責任がある。
(二) 原告泰子は、加害車の保有者であるから、被告の人身損害につき自賠法三条による賠償責任がある。
3 被告の受傷、治療経過及び後遺障害
(一) 傷病名
頚部捻挫、腰部捻挫
なお、原告らは、被害車の物損が軽微であり、また、本件事故前の速度が小さいこと、さらには被告に他覚所見のないこと等を根拠に被告の受傷の事実を争うが、物損が軽微であつたから衝撃が小さかつたとは言えないし、また、時速と衝撃の程度とは必ずしも正比例せず、頚部捻挫(外傷性頚部症候群)が他覚的所見に乏しいことは公知の事実であるから、原告らの主張は理由がない。
(二) 治療期間及び医院
通院 新須磨病院
昭和六二年六月九日から同年一一月二七日まで(実日数一〇七日)
(三) 後遺障害
昭和六二年一一月二七日症状固定となつたが、頭部から右肩、上肢に脱力感、しびれ、前頚部から右顔面にしびれ、腫張感があり、常時頭重感がある。また、握力も右が四〇キログラム、左が三六グラムに低下している
右は、少なくとも自賠責保険後遺障害等級一四級一〇号に該当する。
4 被告の損害
(一) 治療費 金四二万八六二〇円
(二) 通院交通費 金三万四二四〇円
(三二〇円×一〇七)
(三) 休業損害 金一六五万円
被告は、昭和六二年六月六日から株式会社第一創建に勤務し、給料は一か月金三〇万円の約束であつたところ、被告は、本件事故により、同月一四日から同年一一月二七日(症状固定日)まで休業を余儀無くされたから、右期間中の休業損害は金一六五万円(三〇万円×五・五か月)となる。
(四) 後遺障害による逸失利益 金四九万一五八〇円
労働能力喪失率を五パーセント、右喪失期間を三年(新ホフマン係数二・七三一)とすると、金四九万一五八〇円(三〇万円×一二×〇・〇五×二・七三一)となる。
(五) 慰謝料 金一五五万円
(1) 通院分 金八〇万円
(2) 後遺障害分 金七五万円
(六) 損害の填補 金一二〇万円(自賠責保険より)
(七) 弁護士費用 金二五万円
(八) 損害の合計
右(一)ないし(五)の合計から(六)を控除し、(七)を加算すると合計金三二〇万四四四〇円となる。
5 よつて、原告は、被告ら各自に対し、金三二〇万四四四〇円及びこれに対する本件事故発生の日である昭和六二年六月九日から右支払済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否及び原告らの主張
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2(一)の事実は争う。
同2(二)の事実のうち、原告泰子が加害車の保有者であることは認めるが、その余は争う。
3 同3(一)の事実は争う。
被害車に追突直前の加害車の速度は、人が歩く位の速度、すなわち最大時速五キロメートルまでであり、本件事故により被害車に生じた物損は極めて軽微であつたし、被害車に与えられた平均加速度も最大〇・七Gまでと推定され、加速度の点からみても、本件事故による衝撃は軽微と言わざるを得ず、しかも、被告には、頚部捻挫ないし腰部捻挫を窺わせる他覚所見が全く認められないから、被告が本件事故によつてその主張する如き傷害を受けることはありえない。
同3(二)の事実は認める。
同3(三)の事実は争う。
4 同4(六)の事実は認めるが、その余は争う。
第三証拠
本件記録中の書証目録及び証人目録に記載のとうりであるから、ここにこれを引する。
理由
第一原告らの本訴請求(債務不存在確認請求)について
原告主張の請求原因1及び2の事実は、当事者間に争いがなく、本件事故に基づく原告らの被告に対する各損害賠償債務は、後期二で述べるとうり存在しないと認められるところ、被告において右各損害賠償義務が存在すると主張していることは本件訴訟上明らかである。
そうすると、原告らの債務不存在確認を求める本訴請求は理由がある。
第二被告の反訴請求(損害賠償請求)について
一 請求原因1(交通事故の発生)の事実は、当事者間に争いがない。
二1 いずれも成立に争いのない甲第一号証、同第五号証、原告上野金也、被告各本人尋問の結果によれば、原告金也は、被告運転の被害車に追従して加害車を運転中、一時停止の交通規制に従い加害車が停止したので、その後方約一・一メートルで加害車を停止させたが、被害車が発進したのにつづいて、同車の動向を注視することなく漫然と加害車を発進させた過失により、右方道路からの車両をやり過ごすために再度一時停止していた被害車の後部に加害車の前部を追突させたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
よつて、原告金也は、被告の人身損害につき民法七〇九条による賠償責任がある。
2 原告泰子が加害車の保有者であることは当事者間に争いがないから、原告泰子は、被告の人身損害につき自賠法三条による賠償責任がある。
三 そこで、被告主張にかかる傷害の存否ないし本件事故との因果関係について判断する。
1 まず、いずれも成立に争いのない甲第四号証、乙第一、二号証、同第三号証の一ないし三、同第四ないし第六号証、被告本人尋問の結果によると、被告は、事故発生の日である昭和六二年六月九日から同年一一月二七日まで新須磨病院に通院して(実日数一〇七日)治療を受けたこと、傷病名は頚部捻挫、腰部捻挫とされていることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
以上の事実からすれば、被告は、本件事故により右各傷害を負つたかの如く見えなくもない。
2 しかしながら、他方、右1で認定の事実に、前掲甲第四、五号証、乙第一、二号証、同第三号証の一ないし三、同第四ないし第六号証、いずれも成立に争いのない甲第八ないし第一〇号証、原告上野金也本人尋問の結果により成立を認めうる甲第二号証、証人小嶋三郎の証言、原告上野金也、被告(後記信用しない部分を除く。)各本人尋問の結果、鑑定の結果、並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。
(一) 本件事故当日、原告金也は、加害車を運転して本件事故現場付近にさしかかつたところ、先行する被害車が一時停止したので、その後方約一・一メートルの位置に加害車を停止させ、被害車が発進したのにつづいて加害車を発進させ、約三・五メートル進行した地点で再度一時停止している被害車の後部に加害車の前部を追突させたものであるところ、右追突によつて、被害車は、約〇・六五メートル前方に押し出され、加害車は、右追突後約〇・五五メートル前進したこと、
(二) 本件事故による車両の損傷状況をみると、加害車は、左ヘツドランプ前方のバンパー稜部に小さい凹損と、ボンネツト前縁左側部に細い凹損が認められる程度の極めて軽微な損傷にとどまつており、また加害車も、リアパネル後面右側下部がわずかに凹損しているだけで、ランプ類も破損しておらず、その修理費用はわずかに八〇〇〇円程度であつて、これまた軽微な損傷にとどまつていること、そして、被害者のかかる塑性変形に要するエネルギーは、極く小さい量であることが認められること、
(三) ところで、鑑定の結果によると、被害車は、ゼロ発進して二・四五メートル前進したのち、右方道路からの車両の有無と安全を確認するために停止していたのであるから、被告は、普通制動をかけて停止したものと認められ、かかる状況下において減速度の大きい条件、すなわち追突されてから停止するまでブーレーキペダルから被告の足が離れずに普通制動をかけ続けていたものと仮定し、本件事故現場付近の下り勾配(最大一〇〇分の一・五)と、被害車が二・四五メートルの間に発進加速、普通制動のための空走距離、普通制動の各動作があるとことを考慮すると、被害車の出しうる速度は三・八二キロメートル毎時であり、他方、加害車は、被害車がこのような低速運動を直近前方(停止時の車間距離は一・一メートルである。)でおこなつているから、普通発進加速度〇・一Gで発進できないこと、そこで、加害車が〇・〇五ないし〇・一Gの加速度で追突までの三・五メートル加速し続けたとすると、被害車が追突によつて与えられる速度は、最大限の数値を含めて五キロメートル毎時までと推定され、これにより追突中に与えられる車両平均加速度は約〇・七G、乗員頭部に与えられる最大加速度は二・七Gであることが、自動車工学上の計算式から明らかであること、しかして、右頭部に与えられる最大加速度は低いレベルであつて、頭部は、ヘツドストレイントに当たつて抑止されるから、後傾角は小さい値に過ぎず、乗員に与える衝撃の影響は小さいものと認められること、なお被害車は、本件追突によつて、前向きに押し出される運動を与えられるから、乗員は、車に対して前後方向の運動をすることになり、追突によつて与えられる五キロメートル毎時の速度の実効衝突速度が四・一七キロメートル毎時であることから、追突時上体はシートバツクに押しつけられ、頭部はヘツドストレイントに当たるようになるが、追突現象終了後停止するまでの減速時に、腰部がシート上を前移動することはないし、上体が前傾して前移動する量もわずかであるから、車内二次衝突が生ずることはないと考えられること、
(四) 被告は、事故当日の昭和六二年六月九日、新須磨病院脳外科を受診し、追突事故の際車内の天井で頭部を打撲し、その後頚部痛が増強した旨を訴え、頭部CTスキヤン、頭部レ線撮影、頚椎レ線撮影を受けたが、異常は認められなかつたこと、その後、被告は、同月一三日に同病院整形外科を受診し、追突事故により受傷したため、頚が右の方に動かしにくい、張つた感じがする、だるい感じがする、右手が痺れる、頚の後屈制限がある、後ろに反ると少し痛い等の自覚症状を訴え、医師から頚部捻挫、腰部捻挫と診断されて、以後同年一一月二七日まで同病院において物理療法による治療を受けたこと、しかしながら、同病院整形外科における初診の際、スパーリングテスト、イートンテストはいずれも正常であり、普通の外傷性変化も全然なかつたし、反射の異常あるいは知覚異常というような脊髄圧迫症状、神経圧迫症状は認められず、他覚的所見としてはわずかに後屈制限が少し認められるだけであつたこと、また、被告は、後になつてしきりに頚部の腫れを訴えるようになつたが、それもすべて自覚症状にすぎず、全治療期間を通じて他覚的な所見が極めて乏しいのが被告の特徴であつて主治医自身、被告の症状はむしろ最初の時期の方が軽かつたのに、治療を継続するにつれて多彩な自覚症状を訴えてくるようになつたとの印象を抱いていたものであること、
以上の事実が認められ、被告本人尋問の結果中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らしてたやすく信用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
3 しかして、前記認定したところによれば、先ず、本件事故により被告が受けた衝撃は、普通に自動車を運転して走行する場合でもしばしば体験する程度の極めて軽微なものであつて、被告は、頚部にほとんど衝撃を受けていなかつたと認められるから、この程度の衝撃でいわゆる鞭打ち症の発症原因である頚部の過屈曲を惹起するとはとうてい考えられないし、さらに、被告に認められる唯一の他覚症状とされる後屈制限も被験者の主観とあいまつたもので、客観的な意味での他覚症状とは言いがたく、結局、被告の傷病名は、すべて被告の愁訴のみに基づくものと認めざるを得ないから、被告は、医師に対し、本件事故によりむち打ち症になつたと装つて前記のような愁訴をなしたものであり、他方、医師の側でも、何ら他覚所見がないことから疑念を抱きつつ、一応患者の愁訴に従い、前記診断名のもとに治療を継続していたものというべきである。
そうすると、被告に前記傷病があるとの診断があつたとしても、右診断の前提となつた被告の愁訴自体に誇張と虚偽が存し、ひいては診断そのものに疑問があることが認められるから、右診断のみによつて被告が本件事故により受傷したとの事実を認めることはできないというほかなく、他に、被告の右受傷の事実を認めるに足る証拠はない。
四 よつて、被告の反訴請求は、いずれもその余の点について判断するまでもなく、理由がないものというべきである
第三
以上のとおりであつて、原告らの債務不存在確認を求める本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容することとし、被告の損害賠償を求める反訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 三浦潤)
事故目録
発生日 昭和六二年六月九日午前七時四〇分ころ
発生地 神戸市須磨区高倉台二丁目二番三〇号先
加害車 軽四輪普通乗用自動車
右運転者 原告 上野金也
右保有者 原告 上野泰子
被害車 軽四輪貨物自動車
右運転者 被告 高橋文隆
態様 追突